上司だからって部下を殴っていいのか?罪に問えるかは暴力の証拠がカギを握る
今やほとんど企業の現場では行われていないだろうが、上司の部下に対する“鉄拳制裁”はまだまだ日本社会に存在するようだ。なかには髪の長い社員に対する“短髪命令”もあるとか(参考記事)。しかし、業務で失敗したり指示に従わなかったりするだけで、上司は部下を殴っていいのだろうか。暴行罪や傷害罪、民事の不法行為に問われることはないのだろうか。またそうした上司を是としている会社に責任はないのだろうか。今回は、部下が上司からの叱責の際に殴られたというケースを取り上げ、部下はどのように法的に身を守れば良いのかを解説してもらった。
●証拠が乏しければ警察は動かず 刑事事件に至らない場合も
「ミスをした際に、上司に平手打ちで顔を叩かれました。頭を殴られることも時々あります。こうした体罰を受けたことについて、社員は法的に守られるのでしょうか。上司や企業にどんな請求ができるのでしょうか」
実際にこうした相談事も、弁護士事務所には寄せられる。
上司には、指揮命令権限がある以上、部下たる社員に対して業務を命じ、これに従わない社員に対して一定の叱責をすることは社会通念上も許容されており、適法である。しかし暴力となれば、雇用契約によって許容されるものではない。
暴力を受けた社員にとって、直観的に思いつく解決の方法として、当該上司に刑事罰が科されるように対処する方法が考えられるが、あまり現実的ではないケースも多い。
暴力といっても幅があり、①加療を要する程度の有形力の行使(傷害罪・刑法204条)、②これに至らない程度の身体に対する有形力の行使(暴行罪・刑法208条)、③身体以外に対する有形力の行使(机を叩く、怒鳴り声を上げる等)がある。③が刑事手続きの俎上に載る見込みは低い。
①及び②においても、刑事罰を科すためには検察官が起訴(刑事裁判を求めること)をしなければならず、一私人たる社員が刑事裁判を起こすことはできない(起訴便宜主義、刑事訴訟法247条)。起訴の見込みの無い事件の捜査を警察は回避しようとするから、社員が告訴をしたとしても、暴行の程度が低い場合、暴行の事実や身体に生じた損害を立証する証拠が乏しい等の場合には、実際には警察は動かない。
刑事的な対処が現実的であるか否かの判断に際しては、弁護士に相談をすることをお勧めする。警察が動く見込みの無いケースで刑事的な解決に期待することは無意味である。仮に起訴に至る可能性が低いとしても、捜査を開始する可能性があり得る事案なのであれば、告訴をする旨を企業や上司に伝えることが早期の民事的な解決を導く場合もある。
他方で、告訴をするつもりも無いのに告訴をほのめかして不相当な金銭を企業又は上司から得る行為は、恐喝罪(刑法249条)を構成する場合がある。戦略と言葉遣いにさじ加減が必要である。
●訴訟外での解決を目指す場合でも証拠集めの重要性は変わらない
民事的な責任を問う対象としては、当該上司と企業が考えられる。上司に対して損害賠償を請求することができるのは、道を歩いていて他人から暴行を受けた場合と同じく、不法行為(民法709条)に基づくことになる。
企業に対する請求は、上司を雇用する使用者としての責任を問う方法(民法715条1項、使用者責任)と、企業が負う安全配慮義務(雇用契約に基づき従業員に安全に業務を行わせる義務)違反を問う方法(民法415条)がある。要件や立証責任が異なるが、ここでは割愛する。企業を訴える場合、使用者責任と安全配慮義務違反の両方の構成で損害賠償を請求する場合が一般的であろう。
上司の責任を追及するためには、上司が暴力を行ったこと、これによって損害を被ったこと、さらに損害額を主張、立証しなければならない。暴力を行った事実について、上司が行為の存在自体を否定するケース、一定の行為はあったことは認めつつその内容を偽るケース、行為の内容を認めつつ違法な程度ではない旨を主張するケースがあり、訴訟に至る多くの事案で暴力の有無が争点となる。
上司にとっても、暴力の存在を認めることは、会社内での自らの地位を危うくするため、証拠上明白でない限り認める訳にはいかないのであろう。とはいえ、訴訟に至る前、特に弁護士が代理人として交渉の前面に出る以前であれば、日常の会話やメールでのやりとりのなかで、暴行の存在を認める可能性はある。
早期の時点で、関係者や上司本人から、暴行の事実を聴取して証拠化(メモ、録音等)しておくことは、訴訟において重要である。のみならず、訴訟に至らない場合でも、証拠の有無及びその質を見れば、仮に判決に至った場合の大まかな落とし所が見えるため、交渉段階においてもこの結論を軸に着地点を探ることになる。したがって、暴行の事実に関する決定的な証拠は、訴訟外の交渉を有利に運ぶ上でも大きな武器になる。訴訟による解決を念頭においていない場合であっても、証拠収集を怠ってはいけない。
特に暴行が継続的に反復して行われるような場合には、その日時、場所、前後の具体的なやりとり、同席していた者等を日記やメモに記載しておくことも有用である。記憶が薄れるのはやむを得ないとはいえ、裁判所は、曖昧な事実に基づいて事実を認定して判決を書くことはできない。
●暴力上司が会社にとって便利な場合 会社が上司の味方をすることも
損害及びその額に関して、治療費だけではなく、精神的な損害(慰謝料)を立証するためにも、暴行による怪我等の写真を残すことや、医師に診てもらうことをお勧めする。特に精神疾患や睡眠障害に至った場合、医師に診てもらうと証拠化しやすい。通院の日数は慰謝料の額を算定するに際して指標となるため、通院はきちんとすべきである。
上司及び社員の雇用者である企業に対して損害賠償請求を行うためには、暴力が企業の事業に付随して行われること、企業が暴力を防止する注意を怠ったことが必要である。問題となった暴力に関連する事実以外に、当該上司が以前にも暴力問題を起こしたことがあったにもかかわらず企業がこれを放置した事実、当該上司以外についても暴力が問題になっているなど企業風土として暴力を用いた指導が行われている事実、ノルマ達成や教育のために社会通念を逸脱した指導が行われている事実等が、企業の責任を根拠付ける事実として主張される。
他方で企業側は、パワハラ防止の研修を開催していたこと、暴力相談窓口を設置していたこと等が反論の際に主張されることが多い。
暴力を用いてまで指導を行う上司は企業にとって熱心に部下を指導するという点で便利な存在であるが故、案外企業において評価されている場合も多い。したがって、暴行の事実が証拠上明らかでなく、上司自身がこれを認めない場合には、企業は上司と同調して事実を否認する対応をとることも想定される。
他方、従業員に暴力を振るうことは企業イメージを損ない、特に刑事的な問題に至れば、企業の損害も大きいから、暴力の事実を上司自身が認め、又は、暴力の存在が証拠上明らかな場合には、企業は自身を守るために、調査の上、上司に懲戒処分を下し、当該上司に賠償を促す場合もある。企業の態度を決めるのは、暴力の事実を証する証拠の有無及び質なのである。
他の社員(特に現職)に、企業に不利な証言を期待することは困難であるから、暴行の事実は極力客観的な証拠であることが望ましい。暴行が反復継続するようなケースの場合には、録音や動画を撮ることが可能であろうから、勇気を出して試みることをお勧めする。早期かつ有利に解決をする極めて価値の高い証拠になる。
●解決後働き続ける場合は特に報復を防ぐべく暴力の確たる証拠を
職場における暴力と関連して、パワハラという言葉がある。パワハラは法律用語ではないので、企業において懲戒処分をするか否かの場面は格別、法的解決をする場面において、パワハラに該当するか否かという論点建てに意味は無い。
民事上重要なのは、違法行為か否かである。行為の違法性は、その内容、経緯、程度、結果等を総合考慮されることになる。
物に対する暴力であっても損害賠償が認められる場合もある。筆者が実際に担当した事案で、密室において上司が机を叩いて社員を罵倒した行為に関して、少額ながら慰謝料が認定された例がある。このケースにおいても、叱責をする一部始終を録音した音声が証拠として重要な役割を果たした。
企業に対して請求する場合、上司の暴力だけではなく未払残業手当の請求等、他の請求も併せて行うことが早期かつ有利な解決を導く場合もある。上司による部下に対するセクハラの事案ではあるが、証拠上企業の責任は認められ難いケースであったものの、未払残業代を併せて請求したことによって、原告が満足する内容で和解に至った事案もある。
企業側、上司側、社員側のいずれであれ、早期に有利な解決を図るためには、問題が生じた後の早期の時点、できれば、証拠収集が可能な時点で弁護士に相談されることをお勧めする。
また、訴訟外で和解をする場合であっても、特に当該企業で仕事を続ける場合には、不利益な処分や上司からの報復を受けぬよう、可能であれば、合意書中に懸念点を解消するための文言を極力盛り込んでおくべきである。そのためには、暴力の事実等に関する強力な証拠を得て、企業や上司に対する交渉力を高めておく必要がある。